老後に必要なのは貯蓄ではない

2023年4月26日s-スローライフ,富の知,経済知っ得

老後を迎える前の時期の、つまりだいたい世間で定年と言われる60代よりも10年以上前の、仕事をしない数ヶ月〜数年だったりする。(うちの亡父はしょっちゅう無職だったが結局何も残せなかったので、もちろんその間をどう過ごすかが大事なのだが)

何を考え何をするかは別にして、黄金律を先に書いておく。

1つ。仕事をしないし探しもしない空白期間

2つ。お金を極力使わない生活

なぜかというところを順を追って話す。

心身疲れ果てて年老いると、いずれお金を稼げなくなるのは皆わかっているつもりかもしれないが、そこで貯蓄が何千万あったって、ボロボロの身では医療費で消えていってしまう。

貯蓄より不労所得だというのは20世紀から言われていることだが、確かに、知識も技能も資本もない人が不労所得を構築するのはそう簡単ではない。が、簡単でないからと言って逃げて、「働けるうちに働かないと」とか言って身を粉にして働いていたら、ボロボロの心身で老後を迎えることになる。生きて老後を迎えられればまだいいかもしれんけど、場合によってはかえって死にたくなるかもしれない。

貯蓄はいつかなくなる。そこでサラリーマンは年金をあてにする。経営者は投資で不労所得を構築する。年金が微々たる人でも、田舎の持ち家で「お金のかからない生活」ができていればそれでもいいかもしれない。逆に、年金で賄えない「金のかかる生活」をしていたら、やっぱり貯蓄はいつかなくなるし、物価が上昇すれば価値も下がる。その日を恐れながら生き続けることになる。

不労所得のあてがないなら第二の選択肢は、年老いてもなんとか続けられる仕事、となる。肉体労働は無理。職人仕事も手先や目が衰えるとできなくなる。

口頭で知識や技術や芸能を教える仕事はできるかもしれない。

テクノロジーの進んだおかげで、音声入力で文章を書くことは寝たままでもできる。

滝沢馬琴の18年に及ぶ『南総里見八犬伝』執筆の後半は、口述筆記によってなされたという。

これからはストーリーだけ決めてchatGPTに書いてもらう人も出てくるだろう。作家とは呼べないが本は出せるし、面白ければ売れるだろう。

誰かに写真や動画を撮ってもらって高齢ユーチューバーになる方法もある(絶対稼げる保証はないが)。

この「誰かに」も必要なので、家族や人脈を最低限大事にすることも求められるかもしれない。十年後にはロボットがやってくれるかもしれんけど。

こうした「本当の老後」をちゃんと考えておくためには、健康で体が動くうちから準備をしなければならない。

「1万時間の法則」からしても、定年退職してから考えたのではたぶん遅い。

本気で考えるには、「何もしない時間」が必要になる。

労働しながら考えようとしても、真面目な人ほど、今やっている仕事をうまくこなすことに頭の大半を支配されてしまう。

早期リタイアが流行になりつつあるが、これも、準備が整ってからリタイアするつもりの人が多いかもしれない。だが、本当に大事なのはその準備のための「空白期間」なのだ。

人類は、頭を空っぽにするのが苦手だ。

いつも空っぽに見えるアホもいるが、アホはアホで目の前のことで結局いっぱいになっていて実は空っぽではない。

頭を空にするのは、状況や環境から用意しないとなかなか難しい。

中途半端だとね、結局考えられんのです。温泉に浸かるのでもいいけど、数日じゃ、疲れを癒すところで終わってしまう。

投資とお金に興味のある人で知らない人はいない、かのロバート・キヨサキさんも、労働と消費の「ラットレース(ドブネズミの駆けっこ)」から抜け出すために、それまでの仕事を辞めて夫婦で住居を引き払い、車上生活をしたそうだ。車上生活まではしなくていいくらいの貯金はあっただろうに、あえてそうしたのは、

「仕事をしない」だけでなく、

「お金を(極力)使わない」生活が必要だったのだろうと思う。

お金の消費もまた、脳を疲れさせる。

金銭感覚のある人ほど、消えていく無駄金が気になって頭が働かなくなるし未来を自由に思い描けなくなる。

だからロバート・キヨサキさんは、奥さんがありながら(理解のある奥さんのおかげかもしれないが)、あえて車上生活という形で人生をリセットした。その結果、大富豪の仲間入りを果たした(どれくらい金持ちか細かいことは知らないが、生涯お金の心配はしなくてよくなったようだ)。

車上生活はひとつの選択肢であって、人それぞれリセットの仕方はあるだろう。

ちなみに車上生活には、のちのち「あんな生活はもう二度としたくない」と思って奮起する効果もあるかもしれないし、逆に、「失敗してもまたやり直せる(経験済みだから大丈夫)」という支えにもなるかもしれない。

私は、妻の死後、仕事をしないで人と会わず、娘が学校から帰ったら必ず家にいて笑顔で「おかえり」と言い、自然に囲まれて薪を割り本を読みまくる生活を選んだ。投資や経済の勉強と、語学の勉強と、自給自足の勉強や試行錯誤をしながら、小説や俳句や詩を書いている。

投資にも資本がいるという時代もあったが、今は千円から株を買うことだってできる。ただしギャンブル的な投機は一瞬にして財を失うので投機と投資の違いから勉強する必要がある。

子供に何を残すか、という観点からも、人それぞれ、自分に何ができるか、何をするのがいいかを考える時間が欲しいところだ。何年かかけてもわからないことだってある。十年目にわかることもある。

少なくとも、貯蓄は大して意味がない。(ないよりはマシかもしれんが、安心材料にはならない)

通貨のない時代を考えてみよう。魚の干物を三十年分財産で残すのと、魚の獲り方を教えるのと、どっちが意味があるか。

アメリカの大富豪に数多くインタビューした人の著書によると、多くの億万長者は、我が子の大学の学費を出していないという。

ほとんどの日本人が学費はおろか仕送りまでしていることを考えると、「えー」という人も多いかと思うが、億万長者は、お金を手に入れるために何が大事かわかっているから億万長者なのだ。

彼らは、魚の干物を仕送りする代わりに、魚を自分で獲らせて上達させていたわけだ。

ちなみに上記の億万長者の話はこの本から。

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