家族元気で閏年

グリーフケア,心理学

娘も猫も、そして私も、それなりに日々を送っている。
猫は元気すぎる。
私はかなり気力が落ちている。
娘はめちゃくちゃ絵が上手くなっている。
実は昨年初夏から、我が親に対する絶望的なストレスによって非常に心が汚れ暗黒の日々を過ごしていた。
親は存命だが少し離れて暮らすことが叶った。
叶ってから私が立ち直るのに、ふた月を要した。
私が私に対してだらしないの不甲斐ないのと思ったり言ったりするのは簡単で、実際言い訳などしたくないし体裁も必要ないのであるが、ひとつ同じような境遇の誰かがいつの日かここを読む時のために言っておきたい。
簡単に縁を切れない人物に対する怒りや絶望で打ちひしがれた心というのは、回復に時間がかかる。
無理に動かぬ足を引きずるのなら、それは、守らねばならぬ者たちの生活のための最低限の数歩でやめておこう。
くれぐれも、「やらねば」と思わないこと。
規定料金以上の見返りやストレスを必要としない人に頼れるなら越したことはない。できる人はそうして。
私はご存知の通り父ひとり娘ひとり。娘も猫も雀も羊も山羊も狐もただそこに生きててくれてるだけで私を癒してくれているので感謝は絶えない。
だがこの黒い汚れた心の対流を、共有したい時に相手がいないことで、私は自浄作用が遅々としてループを繰り返す膨大な時間を要した。
大事なことがわかった。
この膨大な自浄作用の過程のためには、
「有意義なことをしてはならない」
まだ確信は持てないが、そうだったとしか今のところ思えない。
無為に時を過ごすと通常は、余計に自己嫌悪に陥る。
この私でも。
だが幸いなるかな、私を正しく導く人間もいない代わりに、くだらない社会の規範を押し付けてくる輩もいなかった(あ、ひとりストレスの元凶の人物がいたが、今話しているのはそこから距離を取れてからの話)。
ひとりの時間、何もしない時間、何も押し付けられない時間。
世間のしがらみの中で生きる人々には、なかなか手に入らない。
だから心はいつまでも癒えない。悲しむ暇もない人は精神を削られていく。
そして引きこもりは続く。ニートはふやけていく。
大事なことだから改めて言う。
心に痛手を負った戦士には、自分で自分が嫌になるくらい暇で暇でしょうがない時間が必要なのだ。たぶん最低半年。
孤独な身の上ならば幸いである。
一方、不理解な家族や付き合いが苛むのであれば、せめて頭の中で完全無視しよう。対応はロボット化してあしらおう。これは世間的には非常に失礼なことなので好都合、ちょうどあなたの怒りと相殺される。
もちろんこれは決して徳の高い行為ではないが、徳の高い行為が何かを知っていてもそれを実行するには徳を積まねばならない場合がある。徳を積むには時間が要る。その間、明晰な頭で生きていなくてはならない。深く病む前に、心身の最低限の安全を獲得するのが先決なのだ。