1+1=2の本当の意味(壱)

2023年6月15日子育て,学校の勉強

テーブルの上にリンゴが1個ある。

その横に、リンゴを「もう1個」置く。

テーブルの上にあるリンゴは2個になった、と言える。

この一連の出来事を数と足し算と等号の概念を用いて表現すると、

1+1=2

と言い表すことができる。

では、リンゴのことをいったん忘れて、

算数知識のある人間が知っている範囲で、

1と2という「数」の性質について誰もが認める事実を言ってみて。

1は2の半分?

2は1の倍?

1があって、もう1つ、1があると、合わせて2になる?

「半分」や「倍」が2という概念なしに説明できるのかとか、1を理解するのに「もう1つ」と言っちゃっていいのかとか、そういう問題はいったんオアズケにしよう。

まあ上の3行の「?」の答えがすべてYesだとしよう。

ここでさっきのテーブルを思い出して。

リンゴが2個になったということと、数としての「2」は同じことだろうか?

現実のテーブルの上で、

リンゴが1個から2個に増えたという事実によって、

最初リンゴが1個だった時に比べて、

すべてが2倍になったのか?

テーブルが支えるリンゴの重さは正確に2倍になったのか?

リンゴを食べることで満たされる腹のスペースは正確に2倍になったのか?

リンゴをスケッチするために消費される鉛筆の炭素は正確に2倍に増えるのか?

もし、数学的に正しいとされる1+1=2が、現実を正しく言い表しているとするなら、リンゴのいったい何が2倍になったのか?

子供が見ても、1個だったリンゴが2個になったことはわかる。

だが、数学とは、どんな簡単な記述であっても、基本的に厳密でなければならない。

ここでいう厳密とはどういうことかというと、

注釈なく2倍というのであれば、1.9倍でもダメ、2.1倍でもダメだ、ということ。

だから、1個だったリンゴにもう1個加えて2個になった事実に関連づけて1+1=2だと言いたいのであれば、

リンゴの何が2になったのか?

1個のリンゴの何が1だったのか?

この問いに正確に答えられなければ、リンゴを使って1+1=2ですよなどと言えない。

もしなんとなくそう言ったとしたら、そもそも1+1=2と発言すること自体が戯れ言(ざれごと)だということだ。

1+1=2が数学だという前提で、なんとなく言ったのだとしたら、極端に言えば数学に対する冒涜だ。

優しく言えば、「別に数学じゃないよねそれ」。

ぶっちゃけて言えば、

「別に1+1=2とか言わなくてよくね?(リンゴの数くらい子供でもわかるんだし)」

ここでは別に、1+1=2を説明するのに基礎数学を理解しないといけないとか言いたいわけではない。

ただ、リンゴの例で明らかなのは、現実のリンゴという物体のほとんどの要素はちっとも正確に2倍になっていないということだ。

なのに、子供に足し算を教える時、リンゴだかミカンだかコップだかを使って、大人は1+1=2と言い、何かを説明した気になっていることが多い。

いったい何が2になったのかをよくよく考えれば、実は、正確に2になったのは極めて限定的な側面であることがわかる。

この極めて限定的な側面について説明できてないと、子供は自由に現実を観察する。

そして、

偶然その限定的な数学的側面になんとなくでも行き着いた子供と、「それ以外の要素(=全然2じゃない事実)に気づいてしまった」子供とに別れる。(正しくは、理解も観察もせずぼんやりしたまま流れに身を任せる子供という第3のグループがいて、しばしば最も多数であったりする)

今は、数の定義とか難しい話を一切棚上げにして私は話したい。

つまり、本当に7歳程度の子供にわかる話をしたい。

1+1はどういうことなのか。

なぜ、いったい全体、何が正確に厳密に、2になるというのか。