学校の先生の心の声は?

2022年1月13日z-日の徒然,子育て,学校の勉強

「掛け算の順序問題」の先日の記事で、解釈の余地を残した問題についてテストでバツをつけられる生徒に随分と肩入れした。そこでは、とある暗黙の前提が半分あった。生徒なりに考えがあった(かもしれない)、バツである理由が納得できない、という子供(&家庭)視点に立っていた。

実際はですよ。
授業を何も聞いてない生徒、先生が授業で「こういう問題ではこう答えるのですよ」と丁寧に教えたにも関わらずすっかり忘れている生徒、もいるかもしれない、全体で見ればおそらく一定数いるだろうと思う。

そのことは一応頭の隅にありながら、しかしもしかしたら子供なりに考えがあって模範解答の枠を逸脱した可能性がある以上は、「解釈の余地がある問題」や「基礎をカッチリ理解してほしい問題」だけでも、指導と違う回答をした生徒の考えを確かめるなんらかのコミュニケーションを面倒がってはいけない、それこそが学校指導の本来の目的なのだから、と言いたかった。

だが、子供の立場になるとつい熱くなり、「コダワリ先生」を一方的に責めすぎた感もある。この「つい熱くなる」のは子を持つ親の中に少なからず共通する心情かもしれないから、私も含めた世の中の親御さんの中にも、子供の回答の経緯を聞きもせず(つまり家庭は家庭で「我が子とのコミュニケーション」を取ることなく)先生・学校に抗議したりSNSで晒したりしてしまうリスクが潜んでいる可能性も心しておこう、と改めて思う。

私は公務員としての教師の仕事は経験したことがなく(教員免許もなく補助員もしたことがない)、ある種の学習塾で高校生を教える仕事や、大人を対象とした特定技能の講義をやったことがある程度。わざわざ勉強や習得を第一目的に集まったクラスと、小中学校の授業とはまったく異質なものなのはわかっている。ので、娘の授業参観でつい最近の小中学生を目の当たりにしてきた経験と、そして私自身が随分と昔ではあるが小中学生だった記憶をもとに学校の先生の心情を推し量ってみる。

実は、全く先生の話を聞いてないか聞いてるのに全く覚えてない生徒の存在に対する「先生の嘆き」には、つい最近も深く同情したばかりだった。

私の時代に比べて、最近の学校の授業はめちゃくちゃわかりやすい。板書の時間を節約してあらかじめ用意したパネルや図形をマグネットでバンバン貼り付け、プロジェクタなども(比較的)スムーズに活用する。私の頃は「OHP」だったのでいちいち赤黒の遮光カーテンを閉めて部屋を暗くしなければならず、黒板に切り替える時にまた蛍光灯をつけたりして。道具だけでなく、「板書をノートに写す」のが大半だった私の頃に比べればプリントの活用とか、説明の順序や段取りも、進化しているところは少なからずあると思う。

そんないくぶん恵まれた現代の授業環境にありながら、結局、先生の話を全然聞いてない生徒や、その場では聞いているようだが休み時間にキレイさっぱり忘れている生徒はどうやらいるらしい。先生の教え方は進化しても生徒は数十年前と大して変わらない。それどころか一部の学校では学級崩壊などという、私の頃には聞いたことのなかった事態が頻発しているという。これはどうしたことか。

掛け算の順序問題のように、異論を挟む余地のある教科内容は他の科目でもいくつもあるはずだが、それでも一応その学校その先生においては「こう教える、こう理解してもらう」という方針があり、その方針に従って丁寧に授業をやっているというのは私も信じている。授業参観を見てもそう感じる。指導内容や教科書の構成に「それ(これ)でいいのか」と疑問に思うことはあっても、先生の授業態度に不満を感じたことはほとんどない、むしろ上手いな偉いなと思うことのほうが多かった(娘の学校の先生方の人柄に恵まれていただけなのかもしれないが)。

私の学校時代を思い返すと、私は決して授業態度が「マジメ」な生徒ではなかった。興味のない授業ははっきり言ってほとんど聞き流していた。外の景色を見て放課後のことを考えたり、教科書の挿絵に落書きしたり、パラパラマンガを製作したり、すごろくを作ったり、隣の友達とこそこそ話したり手紙をやりとりしたり、机に彫刻したり、消しゴムのカスを丸めて作った玉で机上ゴルフをしたり。
何度ゲンコツ喰らったか知らん。

だから「先生の話を聞いてない生徒」のことはだいたい想像がつく。自分も、聞いてなかった授業内容はスッパリ記憶になかった。家で教科書を隅々まで読んでいたので成績はだいたい良かったが、先生の教えたのと違う覚え方をしていたことなど時々あった。

教科や内容によっては食いつくように聴いていたし、質問も納得いくまでした。ちゃんと聴いた授業の内容はもちろんのこと、順番で教科書を読まされた部分とか小問を解かされたとことか、グループで調べたとことか宿題でまとめたとことかは、そう簡単に忘れなかった。マジメに先生の顔を見て話を聞いているのに内容を覚えてない生徒のことは、私はあまり想像がつかない。話を聞く姿勢だけで、違うことを考えているのだろうか、完全に他人ごととしてやり過ごし授業が終わったら頭から一掃されるのだろうか。

私の大学時代の話になるが、語学のとある教授は、授業の後に時々生徒と居酒屋に行き(私も同行していたが)、出席簿を取り出して
「出席日数足りないやついるかー。欠席した日の分も丸つけてやるぞー」と満面の笑みで大声あげていた。いい先生だった。授業は大学でも指折りにわかりやすかった。その先生が、出席簿を不法に補完しながら(笑)しみじみと語った。
「前期とかさ、1日も休まず授業出てる子いるんだけど、小テストやると、全然、本当に、できてないわけさ。授業サボっててもちゃんとわかってる生徒は、よく勉強はしとるんだなと思う一方でね、この毎回欠かさず授業に出てて何も覚えてない生徒は、なんていうか、僕の授業で何を聞いてたんだろうなって、はっきり言ってガク〜ッと来るんだよね(と実際肩を落とす)」

小中学校の先生方が、テストの採点で親御さんから苦情がきたり、SNSで晒されたり。しかし、ちゃんと丁寧に教えているのに何も聞いてない、聞いているようで何も覚えてない生徒というのも少なからずいる。

私も、納得いかない授業やテストの事例にはこれからも問題提起していくけれど、それは先生と生徒、先生と家庭、先生と学校外の人間とのコミュニケーションの取っ掛かりとして建設的なものでないといかんなと、自戒も込めて思う。

そして、親(保護者)として子供の味方、子供の立場で先生と向き合う時、「うちの子供はマジメにやっている、ちゃんと先生の話を聞いている、うちの子なりに考えてテストに回答している」というのが、勝手な思い込みではなく、子供との対話を経て確かめた上でのことであるように、心すべきだと思う。