言い過ぎてた?掛け算の教え方の一案

2023年2月1日子育て,学校の勉強

たまたま日本の数学者の書かれた別の分野の本を読んでいて、私も反発心から偏ってしまっていたかもしれないと反省した。

結論から言うと、

  1. 掛け算の「1当たり量」と「何個分」の概念を基礎として最初に教えるのは、一応意味のあることかもしれないと認める。ただし、現実のほとんどの場面において上の2つは、考え方として交換可能であることも同時に教えること。(計算時の交換法則のことではなく、式を立てる際に例えば「お皿に載った果物の数×お皿の数」だけではなく「お皿の数に果物が1個の場合×各皿に等しく載った果物の数」のように逆の考え方ができるということ)☞となると「式」の順序がどちらでも良くなってそれはそれで基礎を確認できなくなるので対策は後述の補足にて
  2. 授業で例を用いて教えた「式」と逆の式を答案に書いた生徒については、理由を聴いた上で指導すること。(その数学者の本には、ベテランの先生は機械的にバツをつけたりはしてないと書いてあった。私もそう願っていたので嬉しかったし、現場の生の声を聞けなかった私の情報不足だった)
  3. 明らかに何も考えずに問題文にあった数字の順に式を立てた生徒については、単純な掛け算や足し算の問題ならそれでも答えは同じになるが、それぞれの数字の「役割」を考えずに式を立てると必ず間違いをおかすよということを教える。最初から授業でそういう教え方をするのが理想だとも思う。

私がなんで、スローライフと子育てのブログでそこまで掛け算順序問題に感情込めて突っ込んでしまったかという原因は、
「絶対普遍の法則でもないのに、そこから外れた子供に機械的にバツという全否定をかましている」先生に対して腹が立ったからで、それが全てのはずだった。

なのに私自身が、その矛先を「掛け算の順序問題」や「基礎を徹底することがそんなに必要か」という問題に逸らしてしまっていた。これは反省しきりです。

あとは補足。
上の項目1の、「1当たりの量×何個ぶん」が考え方として交換可能であることの最も極端な例としては、面積があると思う。
おそらく、日本のカリキュラムで面積を教えるのは掛け算を教えるのよりずっと後になっていると思うが、そこにもまた歪みがあると私は思う。なぜなら、これは友人の息子さんで、四則演算は問題なくできて九九も憶えている五年生の子なのに、面積の計算がうまくできなくて困っていた例があったのでそう思っている。

お皿と果物を叩き込まれすぎると、縦横どちらが「1当たり量」なのか最初から決めようがない面積の問題(図形の応用力を考えたら決めるべきでない)などに「進んだ」時にまた概念シフトという壁ができて、不必要に落ちこぼれる可能性があるから。段階を経るのは理解を助ける場合もあるが段階が多すぎると無駄につまづく(現実世界の階段と同じように)。子供の柔軟だが同時に従順な脳(能力)にとっては、壁の数は少ない方がいいと思う。新しい段階に「移行」するたびに考え方を根本から改めさせられ、その都度疲弊する子も少なくないはずだと思う。

例えば私は小学校の頃から数に「マイナス」があることは読書などで知っていたが(たいていの子供は漫画を読んでいたってテレビをぼーっと見ていたって「マイナス」にぶつかるものだ)、小学校のうちはマイナスなど存在しないかのように教えていたりもするようで。中学になって初めて「マイナス」を教えられてカルチャーショックを覚えるような純粋な子供がもしいたらと思うと不憫でならない。上に書いたように現実にはあまりいないとしても、少なくとも学校教育ではカルチャーショックのお膳立てを整えるようなカリキュラムになっている。
一度に教えても理解できないことというのは確かにある。だが、存在しないかのように教えるのも歪んでいると感じる。

だから学校教育がダメだとか全否定したいのでは決してない。
絶対正解な教育方法などなかなか見つかるものではない。
だからこそ試行錯誤が必要で、もっと大事なのは、教えている側が「教育とは試行錯誤なのだ」と自覚していることだ。
私や世間の親がちょくちょく反発や危機感を覚えるのは、機械的に型にはめることしかできない教師に対してなわけで。

で、さらに補足、上のリスト中に後述すると書いた件。

掛け算の問題は、「1あたり量」をどう設定するかによって、お皿1枚に載った果物×お皿の数でも(これが一般的だとしても)、(1つずつ果物が載った場合の)お皿の数×お皿1枚に今載っている果物の数でも、どちらの発想で式を立てても間違いではない。だがどちらであっても「考えて式を立てたかどうか」が重要であるのは私も完全に同意する。

考えて式を立てたのか、問題文に書いてあった数字を考えなしに並べたのか、どっちなのかを答案で確かめたかったら、ただ式を書かせても意味がない。式にも評価を下したいのであれば、「何の量」を「何倍」すると考えたのか、それぞれ書かせるなどするべきじゃないだろうか。

業者から買うテストにそういう配慮を望んでもなかなかあと数年は改善しないかもしれない。テスト作成業者に要望を出してみるのはいいが、望む形が実現するまでは、基本をマスターしたかどうか確認する段階だけでも、先生か学校で独自にプリントしたテストを用いるべきだと思う。

これを面倒だと言ってはいけない、「基礎を徹底する」とか言うのであれば。もしこれを面倒だと言うなら、式が前後入れ替わっているくらいでバツを付けるべきではない。数字が違っていたり掛け算が足算になっているような明らかな間違いでない限り。

補足の2のひとつ目。

ベテランの先生は頼もしいしありがたいしそれでこそプロだと思うけれども、そしてどの業種でもベテランと新人に能力差があるのは仕方がないことではある。が、だからこそ、こういう大事なことが能力差に左右されないようにカリキュラムも指導要領も作られているはずで。ベテランの先生だけでなく、誰でも、

生徒の間違いはなぜ間違えたかという原因を重視して指導する

ということを新人先生にも徹底してくださることを切に望みます。

補足の2のふたつ目。

その数学者の人の本です。

心理学の「バイアス」とは違った視点で人の間違いのメカニズムを説明されていて面白かった!

タイプごとに対策も提案されているので、会社でも学校でも(家庭でも)役に立つ内容だと思う。

さて、この問題に関しては別記事で、当ブログ初の外部からのコメントをいただき、私も引き続きいろいろ考えつつ他の書物からのヒントも得ている。そして見解を更新している。

例えば以下。算数に関することは「学校の勉強」カテゴリに、子供の教育という視点では「子育て」カテゴリに入っているはずなので、通し番号はないけれどもカテゴリ検索すれば関連記事を網羅できるかもしれない。