「字が小さいほうが読みやすい」と娘が言った

2021年12月29日Webページ作成,z-日の徒然,,子育て,文学,父と娘の会話

娘が図書館で借りてきた本(短編小説集)が面白いというので、私も読んでみようと借りた。かなり古そうな本。
「わ、字ちっちゃ!」
と本を開くなり言ってしまった情けない大人。
ええ、最近小さい字が見づらいの、眼が、ね。歳だから。言わせないで。

しかしこの、今や時代物と言っていいちっこい字の、しかも旧漢字とかバンバン使ってあってルビもないのを「読みやすい」と言ってくれると。胸が熱くなるよ父さん。

娘によると、

「最近の字の大きな本は読みにくい、読みづらい」という。

そこまで言う。

確かに私も大人になってから久しぶりに小学生向けの本をパッと開いたりすると、ひらがなだらけのデカい字に目がチラチラして意識が飛びそうになることがあった。最近もあった。老化した眼は喜んでもだ、脳は「うわ、なに」と反応するのだ、歳関係なく。歳関係なく。

しかしさらに娘と話してみると、

「字が大きいとページどんどんめくんないといけないから面倒くさいよね」

「いやそういうんじゃない。なんか読みにくい」

で、考えた。
1ページあたりの情報量の問題ではないと。であれば……

そこで思い出した。

視点を移動させる「距離」が「読むスピード」を遅くする事実。

ネットに出回ってるgifにあったのよね、画像の中央部の同じ場所に次々と文字がフラッシュしながら変わっていくのだけど、かなりのスピードなのに読めてしまうわけ。つまり脳はそれだけの文字情報を瞬時に認識することができるのに、普段「文を読む」時には目のほうが追っつかなくて時間かかってるということ。らしい。らしいというかそのgif画像が「百聞は一見に如かず」を実現しててすなわち証拠となっている。

それで振り返ってみると、普段読んでいる個人のニュース解説サイトに、20世紀のページデザインのままのところがあって、いつもいつも読むのに「非常に疲れる」。内容が堅いせいかと最初は思っていたが、そのうち気づいたのは、文のレイアウトが1ページいっぱいに広がっている(まんまでCSSも何もおそらく使ってない)ので、ブラウザの左端から右端までフルに目を移動させてまた左端に戻ることになる。
何度同じ行を繰り返し読んでしまったかしれない。

あの「読みづらさ」、まさに「視点の移動距離」の問題だった。

だから、元から情報量の多い学術書やレポートなどでは「2段組」が多く見られる。小説の類も、文庫や単行本は1段だったのが大判の全集では2段になっていたりする。ここは明治の昔から、出版と編集のプロの方達は、「字を小さくするなら段に分けないと読みづらい」と経験的に心得ておられたのだと思う。

そして娘も気づいてた。私は深く考えたことがなかった。「キンドルは字を大きくできるから離しても読めて便利〜」とか能天気に思ってた。いかんのー。