人の話は聞ける時に聞かないと

2021年9月3日亡き妻のこと,運命

話すと思い出す。話さないと忘れていく。

以前、植林のプロのおじいさんと偶然、話す機会があって。

唐松の林を抜けて

唐松はもともと北海道になかったらしいですねという話をしたら。

おじいさんは地元の人だというし、実際、唐松ではなく赤エゾを植えておられたので、てっきり知っているものと思っていたのに「えー、そうなの」みたいな反応が意外で。

「この辺も、たまたま図書館で見た古地図だと、戦後しばらくは広葉樹林だったみたいですよ。柏とか白樺の林だったのではないですか?」とか言ってみたら。

ああ、そういやそうだなぁ。そうだったわ。

と、思い出しなすった。おじいさんもその頃は20歳前後だったろうからそれはね、忘れてても全然不思議じゃないので。

だから、お年寄りの話は特に。お年寄りでなくても。聞ける時に聞いておかないと、

人の記憶はどんどん薄れていく。

自分自身、書いておかないと忘れていくのだろうたぶん。

亡き父にも、もっとちゃんと聞いておきたかった話があった。

妻とはよく話した。何度も聴いた話もいくつもあった。いつか話そうと思っていた話など、残っていたのだろうか。ひとりで天へ持っていった話、あったのだろうなぁ。

神さまだけが知る話。それならそれでいいのかもしれん。

たいていの人は、文章にしたためることもなく、忘れていき、

思い出すにも語るにももはやその骸を失う時がくる。

忘却の彼方へ消え去る運命であった話も、人の世に無数にあるのだろう。

ただ、受け継ぎたいと望まれながら、叶わず失わる物語ぞあわれなる。