人の話は聞ける時に聞かないと
話すと思い出す。話さないと忘れていく。
以前、植林のプロのおじいさんと偶然、話す機会があって。
唐松はもともと北海道になかったらしいですねという話をしたら。
おじいさんは地元の人だというし、実際、唐松ではなく赤エゾを植えておられたので、てっきり知っているものと思っていたのに「えー、そうなの」みたいな反応が意外で。
「この辺も、たまたま図書館で見た古地図だと、戦後しばらくは広葉樹林だったみたいですよ。柏とか白樺の林だったのではないですか?」とか言ってみたら。
ああ、そういやそうだなぁ。そうだったわ。
と、思い出しなすった。おじいさんもその頃は20歳前後だったろうからそれはね、忘れてても全然不思議じゃないので。
だから、お年寄りの話は特に。お年寄りでなくても。聞ける時に聞いておかないと、
人の記憶はどんどん薄れていく。
自分自身、書いておかないと忘れていくのだろうたぶん。
亡き父にも、もっとちゃんと聞いておきたかった話があった。
妻とはよく話した。何度も聴いた話もいくつもあった。いつか話そうと思っていた話など、残っていたのだろうか。ひとりで天へ持っていった話、あったのだろうなぁ。
神さまだけが知る話。それならそれでいいのかもしれん。
たいていの人は、文章にしたためることもなく、忘れていき、
思い出すにも語るにももはやその骸を失う時がくる。
忘却の彼方へ消え去る運命であった話も、人の世に無数にあるのだろう。
ただ、受け継ぎたいと望まれながら、叶わず失わる物語ぞあわれなる。
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