【猫話 2】 かく短かし猫の不在(中編)

2022年1月17日グリーフケア,,運命

追い打ちに次ぐ追い打ち。とても自分本位な見方だとわかってもなお、悲しい出来事のたびに心はくじけていく。

妻の死ですでに私は残骸のようになり、数ヶ月の間に相次いで愛する猫たちが老いを待たず天に昇り、私はどうしてそれでも生き続けていられるのだろう。

我が子、残されたものへの責任感とか愛情とか、言葉で表される意志や感情などでは断じてない。かといって悲しみが麻痺しているのでもない。

私が立ち直る間も待たずにこの世を去っていく、愛すべき命たち。

失うたびに、「今さら私がしっかりしたって、あの子らはもういないのだ」と。そのたびにどん底からまだ下があったかとさらに闇の底へ心が落ちていく。それで私はどうして世界を捨てようとしないのだろう。

それどころか、約束まで。

幼猫の頃からずっと私の膝の上が大好きだった猫。その子の最後の甘えに対して、当時日々どん底でもがいていた私は、十分に応えてあげられなかった。呼んでも猫用こたつから出てこない、まさかと心臓が張り裂けそうになりながら布団をめくった。

その後いったい何日幾晩自分を責め続けたか、憶えてない、でも決して数日では済まなかった。車を運転していても娘と話していても、来る日も来る日も思考のわずかな隙間にその子へ謝っていた。

私はきっと、その子にはもう一度、膝にのせて寝入るまで撫でてあげたいと。その叶わぬ思いがなんの意味を持つのかなど考えもせず、ただ願いが湧き上がるように、空の上の魂に向かって語りかけていた。

「君が生まれ変わることがあるのなら、今度は誰か、最後までいつもいつも構ってくれる人のもとへ生まれておいで。でも、もし、また私がいいというなら、もし、またそう言ってくれるなら、もう一度私のもとへおいで、今度は毎日毎日、膝の上で撫でてあげる。それができるような暮らし方をする。無理に来てとは決して言わない、ずっと神様のそばが良ければずっとそこにいていいよ、私はこんなになってもなぜか生きているから、私のためになんて思わなくて大丈夫だから」

その約束は、忘れるでもなく、日々思い出すでもなく、心の片隅にあった。墓に添えた花のように、ただ胸のどこかに置かれていた。

その思いを天に投げてから、ふた回りかの季節が巡った。

そして我が家から最後の猫がいなくなり、30年ぶりの沈黙の夜が始まったのが昨年の秋のことだった。

私は、当たり前の喪失感に呆然としながら一方で、自由に旅していた二十代前半の開放を思い起こしてみたり、娘とはこれから先は家の周りに訪れる動物たちを見守っていけばいいだろうかとか、ぼんやり思ってみたりしていた。

後編へ続く。