「みんな言ってる」を理由に正当化する人々
仮に「みんな言って」ても間違いは間違いでしょうが
今となっては風化しかかっている差別発言問題、YouTubeのおすすめにまだ上がってくるので目にするわけですよ。
おすすめに上がるのはいいことだけどね、忘れていい騒動でもない。出来事自体は小さくてそれこそ世界中に転がっている事象だけれども、それが表沙汰になって東西の人々がいろいろ考えた、噴出すべくして出てきた問題提起だったと思う。
「不必要に大ごとにしている」と言ってカウンターかまそうとする人たちもいるが、彼らの動機の根底にあるのは「自分らのことを棚に上げてすぐ寄ってたかって有名人を叩く連中」への恐怖感だと察するので、彼らもまた論点がずれている可能性がある。
侮蔑は侮蔑だよ。正当化する必要がどこにある。正当化されたら侮蔑でなくなるじゃん、発言者本人の意図からもズレるというナンセンス。
つい、汚い罵り言葉を使ってしまうことは、人間、悲しいことに多くの人に起こりうる。だが良いことではない。
例えば読書好きなら文学の中で「畜生!」という罵りは何千回と読んでいるので(ので、というか言い訳にはならないが)、動物の命を貴ぶ私でも、何かをミスった時につい口から出てしまうことがある。言った後で「あああごめんなさい動物たち」と反省する。
差別意識と差別発言の問題ってのもさ、この反省が大事じゃないの?
侮蔑的な意味で差別的な表現を使った場合も、それはしまったと後悔するのが現代文明人だと思うのよ。
明確に人種差別意識がなかったと言ったって、悪しき言霊を口にした時点で自分の品格が落ちたことを後悔しようよ。
もちろん、反省すればいい話だと思う。つるしあげる必要は本来ない。もし発言者が反省しているなら、叩きすぎという意見には私も賛成したかもしれないが、発表された謝罪文見たら「みんな言ってる」だもん(マネージャが書いたのかもしれんがそれならそれで問題)。そこだってば。
「みんなが肌の黒い人を罵って」たら、罵ってええんかい?いかんやろ。怒るやろお前さ。
そこでもしあの現場の東洋人にフランス語が通じてさ、「お前に言われたくないわ」って言い返したらどうなってたん。戦争でしょうが。
そういうのを無くそうって、近現代、多くの人が命をかけて頑張ってきたんじゃん。
奴隷貿易廃止に人生かけた人々とか、マンデラさんの前でさ、「みんなが使ってる言葉だから大したことじゃない」と言えるんかいよ。
確かに、何でもかんでも有名人が失言したらここぞとばかりに引き摺り下ろそうとしたり憂さ晴らしのように炎上させるのは、私なんかが言うまでもなく愚かだ。
今回のサッカー選手の一件はその辺がねじれてて、例えば同じフランス人として真摯に恥いる人々もいる中、素っ頓狂な擁護が飛び交ったりしたんでしょう。
何にしても、感情的に騒ぐ人たちも、反射的にカウンターかます人たちも、冷静になって論点をはっきりさせてから発言しましょう。私も含めて。無駄な争いをなくす(減らす)ために。
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