自殺に至る場所

2022年7月14日グリーフケア,メンタル,心理学,運命

東京都心に住んでいる人の多くは新宿駅の混雑を容易に思い浮かべることができるだろう。例えば小田急線と京王線の乗り換えの狭い階段を通勤ラッシュ時には、1時間に何万人という人が猛スピードで歩き行き交っていた(今もそう?)。

ずっと田舎に住んでいる人は、地方のいくつかの市町村の全人口が丸ごと全員、幅数メートルの橋を急いで渡る(しかも双方向に)光景を想像すればいいだろうか。想像できんよね。できなくていいのよ。

話を新宿駅に戻すと。
あれだけの人が毎日毎日、年に2百日以上、毎日毎日怒涛のごとく行き交っていて、ぶつかったり押されたりしないはずはない。実際している。私も何度転びかけたかわからないし、本当に転んで踏みつけられていく人を何回か見たことがある。初めて見た時はショックだったマジで。

でもですよ。あれだけどつかれ押し流されておきながら、誰も死なない。ホームに落ちても助け出される。

もちろん、東京の地下鉄などではホームに飛び込む自殺が決して少なくはない。が、それは電車が来たタイミングでホームに飛び込むからだ。そのタイミングであれば稀に、事故で死ぬ人もいる。だが、圧倒的に、老若男女毎日何万人の人々がラグビーのタックルに匹敵する圧力を受けながら、まずもって誰も死なない。

人は、背中をどつかれたくらいで死なないのだ。それが言いたかった。

しかし、高さ数十メートルの断崖絶壁の、まさに海を見下ろすギリの縁に立っている人を、ポンと押したらどうなるだろう。

まず「確実に」死ぬ。

屈強な格闘家でも、IQ 120の天才でも、修行を積んだ坊さんでも、死ぬ。

自殺した人たちのほとんどは、死んだその日、心の断崖絶壁のフチに立っていたのではないだろうかと思うのです。
だから、中には、「どうしてそれだけの理由で死んだのか」と周囲に言われる二重の悲劇も度々起こる。
確かに、「それだけの理由で」人は死なない。
背中を押されたくらいで人は死なない。

断崖絶壁の淵に立っている人でもなければ。