勉強「できる」「できない」の分かれ目はただ1点

2021年11月12日,子育て,学校の勉強

結論、それは好奇心の芽が育っているか。それだけだと思う。

芽を摘めばどんな育ちやすい木でも枯れるし、何年か日当たりや風通しをよくして適度な刺激と保護を心がければ、あとはよほど傷つけない限り放っておいても自分で育つ。

好奇心の芽が育ち、枝を伸ばして根を張れば、

少々親や先生がどうしようもない人間だったとしても、もはや好奇心は抑え難いものになっている。

だから物心つく前に、具体的には生後数ヶ月〜18ヶ月ごろから、子供に本来勝手に生えてくる知的好奇心の芽を、摘まないように数年間気をつけるだけでいいとも言えるし、それができないと生涯にわたって転落し続ける悪循環が始まるとも言える。

好奇心の芽を「摘む」、つまり子供を知的にダメにする簡単な方法は、

赤ん坊のころから無視し続けることだ。スルーこそ最大の知的暴力。

何かに興味を持っても無視。泣いたらなお無視。懸命にしゃべりだしても無視するか、いつも同じ返事をするか、うるさいと叱る。「なぜ?」とか「それは何?」という質問に対してことごとく「わかんね」「知らね」とスルー。あるいは「そんなことより〇〇しなさい」と叱る。これで見事、いくら勉強しろと言っても「かったりー」としか言わずゲームかテレビか大食いか不毛な暇つぶしに逃げてばかりの子供が出来上がる。

「どうすればデキル子供に育つか」

のノウハウが書かれた本がいくつも出ているけれど、息子たちがことごとく東大に入ったあの有名なお母さんをはじめ、実績がともなっている人はだいたい同じことを語っていて、同じことを実践してきている。

親ガチャとか言って人生の不成功を親のせいにする風潮が高まっているようだけれど、

半分当たっている点は、赤ん坊の頃の親の対応は「赤ん坊本人の自己責任」とはいかないので確かに「親(育てた人)次第」と言えるだろうということ。ただ、それを遺伝や経済力を根拠にするのは、統計的な結果論でしかない。「どんな生まれの親」であろうが、子供の知的好奇心の芽を摘まないように気をつけることは、そこに本気で向き合いさえすれば誰だってできる可能性を持っているからだ。

上に書いたように、芽を摘むのは簡単だ。

何も考えないでいるだけで自然と子供の芽を摘める才能のある人たちが、大多数かもしれない。

一方、特に意識しなくても自然体で、

上手いこと子供の好奇心を育ててしまう

人間も少数派だがいる。

子供と本気になって遊べる人(私の知るところでは女性に多いが男性ももちろんいる)、子供の疑問を自分も解決せずにおれない人、自分自身が子供の頃からずっと好奇心のかたまりだった、などなど。

そういう人の子供は自然に同じように育つのだとしたら、そこには遺伝子とは直接関係ないプラスの継承があるのかもしれない。

しかし一番私が言いたいことは、

自然体でそれができなくても、あなたの代から良き継承を始めることはできる

ということだ。

子供に質問された時、子供が何かを不思議がった時、赤ちゃんが何かに興味を示した瞬間、「これだ、このタイミングを逃すまじ!」と思うことは誰でもできる。

疲れている時には「今は勘弁して」と思うことも人間だからあるかもしれないが、 ほんの数ヶ月〜数年、踏ん張ることで、のちのち一生涯にわたって子供に「勉強しなさい」と一回も言わなくてすむようになる、と思えば頑張れる?

私は実際、1回も娘に「勉強しなさい」と言ったことはない。だから、娘の学習能力は非常に高くてほとんど何でも自分で学んでしまうし、学校の成績も良い。

「勉強しなさいと言ったことがないのに?」と思った人は、まずその「のに」をやめよう。「だから」に変えよう。思い出してみなさいよ、勉強しなさいと親に言われてどういう気分だった?

私自身はというと、自分がずっと好奇心のかたまりだった。

親のおかげかというと、そうなのかもしれないが、実は面と向かってそうやって育てられた「ポジティブな」記憶がほとんどない。のでおそらく物心つく前のことが大きかったのだと思う。

母の話だと、3歳ごろまで父親はそれはそれは私を可愛がったらしい。

アルバムにも、ちっこい私を連れてあちこち旅行した写真があった。ベーシックな積み木やおもちゃ、数字とひらがな・カタカタのマグネット、たくさんの絵本、世界こども百科、飲んで帰ってくるたびに買ってきたヒーローや怪獣の人形はあった。近所でも虫捕りができたし、海によく行って飯盒炊爨や魚釣りもした。父は海洋少年団だったので手旗信号は5歳ごろに仕込まれた。

一方で、幼稚園の頃にピアノを習いたいとせがんだが習わせてもらえなかった。

さまざまな疑問をぶつけても、父から直接答えを教えてもらった記憶があまり、というかほとんどない。父の口癖は「辞書引け」だったので、小学校以降、ほとんどのことは図書館で調べた。母が言うには、文字のマグネット教材?玩具?で勝手に全部読み書き覚えたらしいけれど、母が相手してくれて読み方を教えてくれた記憶がほんのりある。

ただ、動物に興味を持ったら動物園、魚に興味を持ったら海や水族館、と連れて行ってはくれた。「百聞は一見に如かず」も確かに父の口癖だった。

あとは、4歳ごろまで一度も父から怒られたことはなかった。

なぜ断言できるかと言うと、初めて父に怒鳴られた記憶は鮮明に残っているからだ。「この人は僕に怒るんだ!」と恐怖した、その脳内セリフまで未だに再生できる。そのたった一回の怒号から、私の萎縮は始まった。それ以来、父に心から甘えることはなかった。

しかし、そんな私も、50歳を過ぎてなおそこらへんの子供に負けない好奇心が後から後から湧いてきている。つまり、

3歳くらいまで芽を摘まないように気をつければ

あとは叩き折ったりしない限り、少なくとも好奇心の枝葉は伸び続けるのかもしれない。

そして私も、娘に「勉強しなさい」と言った記憶はない。

さっきも言ったけれども。

娘が小学生の頃、寝る間際になって宿題をやり始めて叱ってやめさせたことがあったので、寝るのが遅くならないためにその後何度か「(やるんだったら先にやってという意味で)もうやったの?」と聞いたことはあったが、やがてそれも言わないことにした。

宿題は自己責任にして、「やりたければやっていい、やらなくても父さんは何も言わないけど、やらなかったことで先生に怒られるとしたらそれは仕方ない」ということにした。

そういうことにしてからも毎日やってたみたいだし、今でもプリントや宿題はやってるようだし、定期試験前にも一切何も言わないけれど成績もなんだか良いので偉いと思う。私が子供の頃はスパルタ親父が怖くてやってた。

寝る時間を過ぎて宿題をやり始めて「もうダメだよ。どうしてもやるなら朝早く起きてやんなさい」と言ったら涙ぐみながら寝室に行って、翌朝学校に行く前にやってた。

ちょっと胸がキュッとなった。