【猫話 1】 かく短かし猫の不在(前編)

2022年1月14日,運命

北海道の夏が終わりつつあったその日、我が家の最後の猫が息を引き取った。

私が人生初めて2匹の子猫をもらい受けて以来、捨て猫の保護活動をしていた妻と出会い60匹を超える猫たちとも出会い、30年あまりにわたってその命と暮らし、最期を看取ってきた。

保護した時点で病気や障害を抱えていた子も、よく食べよく遊ぶ健康な子も、皆それぞれの運命を全うしていった。移住してしばらくすると、何匹もの寿命が重なる年もあり、穴を掘るのが上手くなっていくことに泣いた。

妻を失って1年もせず、私が一番可愛がっていた猫が急死した。「大好きだよ」と言って抱き上げた腕の中で丸くなっていた日から2日と無かった。打ちひしがれている間に、また次の老猫が弱っていく。

最期を迎える猫たちから教わったことは、私が書物から学んだすべての知識よりも偉大だった。仮にそれがなくとも、愛くるしい姿で甘えてくれたすべての子たちには感謝しかない。

いや、本当は、「私がもっと余裕のある暮らしをして、もっともっと構ってあげたかったのに」という後悔の波に毎夜溺れかけて、その度に、「ごめんねごめんねと言われるより、ありがとうと言われるほうが魂は救われるよね」と自分に言い聞かせてきた。天に召された猫たちがそのまま神様のそばであれ、生まれかわるのであれ、前よりもきっと幸福に過ごしてくれることを願い、自責の念を感謝の念にひたすら置き換えてきた。今も。

そんな私の元から最後の猫が旅立った日、家が急にひときわ静かになった。余ったムースタイプのレトルトの束。チュールの徳用パック。

夜中にちょっとの物音で猫が起き出してワオワオ鳴き始め、眠れない日がしばらく続いていたが、今や私がトイレに立って帰ってきても静まり返っている。その静寂にまた、胸が締め付けられて眠れなかった。

もうこんな思いは、今世ではしなくていいよね?

世間一般の人の人生10回分よりも多くの猫と同居して、弔ってきたんだもの。もういいよね。

もう猫は飼わない、家に入れない。今後野良猫がどんなに懐いても。懐いても……(?)

そういえば、思い出した。私にはまだ約束が残っていたのだった。特に可愛がっていた猫を失った時、思わずした約束。

続く。

,運命

Posted by oceanos(父)