スローライフの対極はテクノロジーじゃない
テクノロジーの発展と同時進行で、確かに、スローライフは失われてきた。
ここには二つの問題がある。
テクノロジーが遅れていた時代に世界中がスローライフだったのは、人がそれを選択したのではなく、仕方なくスローだっただけだということだ。
そして現代、テクノロジーが発達して生活がスローでなくなる人が世界にあふれているのは、本来、発明品のせいなどではない。テクノロジーによって可能になった行動を、人々が互いに他人にまで強要し合うという病的な(しかし古代から繰り返してきた)同調圧力のせいだ。
それにより、社会全体で追い立てあい、追い立てられあって、どんどんファスト=早い反応と時間短縮を強要しあってきたせいで貴重な(必要な)スローなひと時を失ってきたのである。
だから現代においてスローライフを「獲得したり」「守り抜いたり」するには、その価値を再認識しなければならない。そして、今はひとつひとつ「選択」し、意図的に生活の中に「確保」しなければならない。
「いいじゃんファストライフで」という人は別に構わない。
死ぬまで目まぐるしく走り回って稼いでは消費して資本主義を延命させる労働力になっていれればいい。
しかしそれで「社会の役に立ってる」と思い上がってますます張り切られてしまうと面倒臭い。何が面倒臭いかというと。
今の世界は間違った高度まで浮上してしまった旅客機なので、たった今この瞬間も、少しずつ高度を下げていかないとマズイのだ(要するにソフトランディング)。そうでないと、いずれ燃料が切れて派手に墜落する。
だから更に高度を上げようぜと張り切る人たち、できれば24時間寝ないで働きたいとかゲームし続けたいとか考える人たち、がどれだけ……。
とはいえ、自分の頭でよく考えてファストライフをあえて選択する人に、私はあーしろこーしろ言うつもりはない。むしろ尊重したい、自分の頭でよく考えたんだったら。
自分の頭で考えているなら、もし間違っていた場合も(生きていれば)いつか自分で気づくだろう。
で、何も考えずいつの間にか企業に踊らされ、同調圧力に踊らされ合って、テクノロジーの奴隷になっている人たちを救おう、などとも私は特に考えてない。
すでにそういう人たちは数十億人地上に蠢いている。私ひとりが誰も見ないブログで何か言ったくらいで彼らを動かせるなら世界はとっくに変わっているだろう、ということくらいわかっている。
ただ私は、これを読んでいる(いつか読むであろう)あなたを思っているだけだ。
このブログにたどり着くような、確率的にはナンバーズに当たるくらい希少な人には運命を感じる。だから、そういう巡り合わせを無駄にしたくないなという気持ちで自分の思ったことを書いている。
私は悟りを開いたわけでもないし、宇宙の真理を見てきたわけでもないので、今日思ったことが来年恥ずかしくなることも覚悟している。
例えばコメントで論理的に指摘されればなるほどと思って何日も考え直すくらい、心は隙間だらけだ。
その隙間こそがスローライフの産物だから。






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