【9/1改】精神や記憶を完璧に転送できても不死にはならないよ
まず意識の所在・存在を考えるなら必読書
を2点紹介するが、今回は科学分野にとどめている。(SFにはまた良質な参考文献がゴロゴロあるのだが)
『皇帝の新しい心』:数学者としても、そしてガードナー先生亡き後の知の開拓者としても、巨人の名にふさわしいロジャー・ペンローズ大先生。彼が広範囲の知見と論理性と、未知の領域をも看破する感性で書き上げた名著。
『意識をめぐる冒険』:数ある脳科学研究者の中にあっても最先端の1人であり、『意識の探求(上下巻)』というその分野の網羅的名作を残している彼が、既存のパラダイムにとらわれず、しかし科学的視点を維持したままさらなる可能性にも果敢に切り込む。まさに意識をめぐる科学の「冒険の書」。
さてこの記事はかつて精神転送とアイデンティティを解説
していたのですが、秘密組織によって葬られてしまいました、なんてことはもちろんなく。
訳あって再編しました。
内容的には、いろいろ理路整然と仕組みを書いたのですが、書いた時点で一番言いたかったことはじつのところ、以下のことであったので、論理的な考察はいったん非公開としてあります。
言いたかったのは要するに。
20世紀以前に幽霊を研究していた学者・研究者などを非科学呼ばわりしてきた科学分野寄りの人たちが、今や疑似科学と科学の境目を見失っとるのですよ。(といっても私は別に幽霊に関して科学的にどうこう言うつもりも肯定も否定も今のところありません、そして文学的には幽霊話大好きです)
科学系のニュースブログとかまで(もともとオカルト寄りの非科学的情報も包含しておおらかに楽しんでいるのは別にして)、いま、「精神転送で不老不死」という話題を、フィクションでなく本気で科学的に実現可能みたいな取り上げ方をしている精神構造について、違和感感じまくりです。なんか、時代が変わったのではなく、「昭和」と同じかむしろ後退しているのに言葉遣いがテクノロジー用語よりに変わっただけで「最先端」だと錯覚している感じが、ものすごく昭和おっさんとしてムズムズしたのです。昔のほうが科学と疑似科学とオカルトの線引き出来てたよね。
今は、論理的にありえないことを科学ならあり得ると心から勘違いしてる人が増えた。量子論がニュートン物理に根差した人類の三次元常識を覆しつつあるのは事実だけど、だからって何でもありとは誰も言ってない。
はっきり言って、タイムマシンのほうがまだ、量子論か時空間理論の果てに(タイムパラドクスを乗り越えて)実現する可能性がありそうで、パラレルワールドをどうにか整理して論理的解決をする余地もある。ので、タイムトラベルを科学領域で本気で追究するのは別に何も違和感ない。精神の本質が解明できなくても、時空の本質の解明で可能になる余地があるから。(ただし多次元世界論を言い出すとまた精神のアイデンティティを避けて通れなくなるという罠)
しかし、精神転送をテクノロジーだけで実現しようとしている一連の動きに関しては、能天気(脳天気)な印象しかない。もちろんアイデンティティの議論が並行してめっちゃ飛び交っているのは知っているが、当の研究者は精神の本質をすっ飛ばして「解析」にしか目が行ってない、としか思えない。ニュースを見る限り。あれじゃ、クローンもアンドロイドも人工生命も全然真面目に考えてないんじゃないかと、だんだん腹さえ立ってくる。
元記事でも、精神転送を研究するなとは言ってない、20世紀のAI研究のようにむしろ副産物が大いに期待できるかもしれないので、科学分野でやれることはやってみればいいと書いた。だが、根本的に「意識とはなんぞや」がてんでフニャフニャなまんまで「不老不死が実現!」とか言われても、脱力する。これ、生命とはなんぞやがフニャフニャなまんまで現実世界でも冷凍保存とりあえずしてみましたーてのと同じ「寒気」がするんだよね。わかる人はわかると思う、この感覚。
そして、今新しく思ったことがある。
本気にして騒いでいるのは結局、本当の最先端の科学者ではなく、冷凍保存と同系の人たちと、科学用語に踊らされた人たちくらいなのかもしれない。それならまあ、生温かく見守ればいいのかもしれない。(凍ってる人には申し訳ないが)
それでも、かつて超能力とか霊能力とかのような(えーとこれも継続中?)、一部で持ち上げといて、一部であざ笑っていた、結局信じる人と馬鹿にする人とのつまらない二極化しか生まなかった黒歴史のニオイがする。
その上現代は、テクノロジーと科学が急伸しているために、かえって20世紀以前よりも「なんでもあり状態」になっている、そしてその自覚が中途半端に科学寄りの人ほど欠けている気がする。
信じるか馬鹿にするかという二極化も大嫌いだが(これどちらも非科学的だよね、前者は元から非科学上等だけど)、現代は、精神転送本気派をほとんど誰も表立って馬鹿にできてないという二極化以下のダダ流され状態という情けない状態にある。原因は、ほとんどの人が情報社会の波に乗り切れておらず、「情報」とか「データ」とかの用語を科学用語に混ぜて使われると一瞬で煙に巻かれてしまうから。
そうだ、私は、ロマンとしてのオカルトや非科学が大好きな一方で、論理的でない人たちが科学用語を駆使して突っ走っていることに「痛さ」を感じていたのだ。そして、その痛さを、かつて「多くの人々が大真面目な超能力研究を嘲笑った」側でありそうな人たちがまんまとテクノロジーに騙されて、同じ痛さを抱えたまま自覚なく突っ走ろうとしている精神転送本気派に対して、今は感じているのだ。
私は一人で百物語何巡かできるくらい幽霊話のストックがあるし、今は冷めがちだけど霊や超能力へのロマンと熱は持っているし、SF大好きだ。そして科学と論理と哲学も好きで、たいていのことは「決めつける」のを忌避する。
だけど、そんな私が、現代の「精神転送で不老不死」という組み合わせの、フィクションという自覚がない本気度についてだけ、「冷凍保存(将来解凍して生き返るつもりのやつね)」現代現実版レベルの肌寒さを感じてしまう。(『ドクターストーン』は結構好きです。娘と観てます)
まあ、この「肌寒さ」の表明がしたかったんだろうな。
オカルトと科学と両方好きで、どちらもとことんその良さを味わいたい、だからこそ、の記事だったのかもしれない。
なぜ精神転送で不老不死が不可能かについて、私以前にすでに、脳のスキャン方法などいろいろな根拠で否定的見解が出ているが、ちょっと調べたところ私の視点とは違っていたので、それもあって元記事を書いた。
この違っている私の視点も、私は同意見をずいぶん過去に見たことがあるので、新しくもないと自覚しているが、現代では忘れられているような気がする。だから、いずれ、もう少し手を入れて、まとまった話にして世に出そうかと思っている。私に書く時間をもっとください(誰に言ってる?)。ブログがもっと知られれば間接的に、お金に頼らないスローな生活をしている私でも、早期に余裕時間を増やしていけるので、早く文章が生産される、とか思っているけど、なんだろうな、「知られないこと」も運命なのかな、それとも、私自身が私自身を隠匿しているのか?







ディスカッション
コメント一覧
自己レスってこういう使い方あるんだなと気づいた。
今から書く内容が不要になったらコメントごと消せばいい。本文修正するより楽だ。
ということで、今日また久々に手直ししました。非常に良書である参考文献を冒頭に追加。本文中のわかりにくかった箇所も修正。
もともと1文が長めであるという、文章講座ではダメと言われているのをいまだやめない私ですが。
切ったほうがいい文は切るし、短文のほうがリズムがよくなる利点があるのは知ってます。仮にも詩人だぞ私。
だけどね、長い文はフローベルだってバルトだって一文が数ページということがあるんだし、哲学界では当たり前なので、長尺の文は書くのも読むのも抵抗なくって、すんませんついやってしまいます。
あ、そんで本題。
このブログ本当にアクセス少ないす。
内容が多岐に渡るのは不利、というのも知ってるんだけど、それってグーグルありきの法則なわけだよね。私はすべての知識と思考と感動と経験がこの田舎暮らしに関わっているので、なんか、切り分けたくないの。
情報が特化されてないからって「ユーザの役に立つ情報源ではない」としか判断できないのはプログラムが非力なだけじゃん、なんでこっちが合わせにゃならんのじゃい。とか言っちゃって。