石炭は自然に還るクリーンエネルギーだよ

2022年8月8日サスティナブル,テクノロジー,薪を焚く,雪国,電気

国連事務総長がなんか血迷って「クリーンな石炭という概念はない」とかほざいているらしいが、現時点の人類文明で「火力」=炭素系燃料の燃焼ほど技術が進んでいて「排気が無害で燃えかすがほぼ100%自然に還る」エネルギーはない。

例えば、20世紀には2サイクルエンジンはオイルを撒き散らし燃費が悪く、スピードしか取り柄がないと長らく言われていたのが、4サイクルに匹敵するクリーンな2サイクル技術ができた。炭素の燃焼が結局一番完成した分野であることは認めるべきだし、もっと誇るべきことだ。私がバイクに乗っていた30年前は、トラックといえば黒煙を大量に撒き散らしていた。今は相当クリーンになってない?

問題になっているらしい火力発電にしても、「二酸化炭素しか排出しない」のだとしたらそれは最高にクリーンだ。二酸化炭素は、多すぎると文句を言ってる人たちがいるだけで、本来、森林植物をはじめとして地球が必要としている、自然の主要構成要素だ。

それに比べて、原子力に関しては、いまだにその「廃棄物=燃えかす」は、処理する方法を誰も知らない上に、即死致死レベルで有害だ。

じゃあ風力発電や太陽光発電は、というと、あの巨大な風車やシリコンパネルを作るのにどれだけの「火力」や「化学物質」が必要かということと、現在の太陽光パネルは25年を過ぎたあたりから膨大な「ゴミ」となり、これまたそのサスティナブルな廃棄処理方法を誰も知らない。

(サスティナブルという言葉出したから言うけど、「再生」すればサスティナブル、ではない。「再生」するために新規生産時より多くの化学物質とエネルギーを必要とする物(代表がペットボトルなど)は、再生再利用しないほうが格段に地球に優しいことになる。再利用のために温室効果ガスとやらを余計に吐き出し、貴重な燃料を余計に消費するの、どういう意図なんだろ。多分何も考えず雰囲気でエコな気になっているんだろうけど)

コンクリートと鉄でできた釜で石炭を燃やすのが結局、いちばん自然に優しいということを、どうして隠蔽したがる人たちがいるのか。

あるいは、「雰囲気だけでなんだか古臭いから火力発電は地球を汚している気がする」とかいうのだとしたら、というかそれしか言えないのだとしたら、そんな人たちに人類を先導する資格はない。三年寝てから出直してこいってなもんだ。

薪ストーブの歴史は長い。ノルウェーなど北欧の技術の進歩はすごい。木材を普通に燃やすと一酸化炭素が出てこれは有毒なのだが、その一酸化炭素を二次燃焼、場合によっては三次・四次燃焼させて完全に燃やし尽くし、ほとんど二酸化炭素しか煙突から出さない構造が「家庭のストーブ」で実現している。

なんども言うが、二酸化炭素しか排出しない燃焼システムは、車を動かすにしろ電気を起こすにしろ、現時点で最高にクリーンで安価で地球を汚さないという事実から「目を背けてはいけない」。

その上で、水素エンジンなりなんなり原料調達から排出まで「もっとクリーン」なテクノロジーを科学者や技術者は模索し、政府や一般人はそれを応援していくべきじゃないのか。自然に還る素材で太陽光発電ができるならそれでもいいが、例えば北の方では特に、太陽光もまた貴重な「有限な資源」だということを忘れてはいけない。太陽光パネルを山に設置すれば、その分植物は死ぬ。

ともかく、クリーンエネルギーは大いに研究すべきだと思うが、「途中の見た目」だけじゃなく、原料から廃棄物まで全部ひっくるめてクリーンじゃないと「乗り換える」意味がない。そういうのが完成するまで、人類が長年かけて完成してきたローコストでクリーンな石炭火力でもうちょっと頑張るのが、一番賢明だと思うしそれの何がいけないのか。

有害で金のかかる技術にイメージだけで焦って乗り換えた分の「余計なコスト」は、全部「財政」と「家庭」に跳ね返ってくるのだから。すでに跳ね返ってきてるでしょ。無駄な再エネ推進に毎月いくら払ってるの、あれ、誰の懐に入ってる?

太陽光パネルを何百万もかけて導入した家庭の売電費用を確かに補助してはいるけど、そもそもその太陽光パネルが耐用年数内に設置費用を回収できない代物になっている。WIN-WINならぬ、LOSE-LOSEシステムになっている。

原子力に投入された何兆ドルという資金から各家庭の年間十何万円という負担金で、火力発電の燃焼効率を上げて余熱で暖房や温水を供給する技術を進歩させたほうが、よっぽど地球のためになっていたのではないのか。