シモーヌ・ヴェイユの言葉が刺さる

2022年5月24日インスタグラム,グリーフケア,メンタル,亡き妻のこと,啓発か自戒か

Tragédie de ceux qui, s’étant portés par amour du bien, dans une voie où il y a à souffrir, arrivent au bout d’un temps donné à leur limi- te et s’avilissent.
Simone Weil

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』から。

私が自戒として忘れまいとする一節。

拙訳してみると、

善なるものへの愛により、苦難の道へ(自らすすんで)踏み出した者が、

ある程度頑張ったものの力量の限界に至り、

卑屈な末路を迎える悲劇。


私は自ら諦める前に時間切れが訪れた。「まだ頑張れる」は限界に気づいてないだけだった。

諦めるのが嫌なら、早々に限界を知った上でその壁を越えなければならなかった。

今なら、今の思索があれば、もっと早く根本的な話しができたかもしれない。

妻と出会ってからは「目的」のために寝る間を惜しんで進み続けたから、数多の「外界の知」に出会う時間はなかった。私は、せめて伊達に生きた20代30代に、もっと貪欲に書を読むべきだった。

こんな私の若い時分に付き合ってくれた友人たちには感謝してやまないが、だらだらと飲み歩いていた時代が恨めしい。と、ああ、これもまた「s’avilir」なのか。

短い生涯で燃え尽きた人々がいる一方でこんな私が長生きしているのは、学ぶのに時間がかかるからなのか。これが愚かさゆえならなんと罪深いか。しかしこれがすでに罰ならなんという神の温情か。そしてこれがなお道の途上というなら(生きているということはそうなのだと思わねばならないと頭ではわかっている)、なんという恩寵なのか。

私にこんな恩寵があるなら、先立った「限りなく善なる妻」にもっと高貴な恩寵がなかったはずはない。

私がしてやれなかったことの量で妻の人生の全てが傾ぐと思うのは、とんだ思い上がりというわけか。