技能実習が大変!自らの墓穴を掘る日本、で良いの?

2022年2月19日z-日の徒然,田舎、都会

2019年に我が国の入国管理法が改正されたことを一体何人の日本人が知ってるだろう。私も知らなかった。

問題はまだ残されているとしてもそこから広がる可能性は前向きに評価できる、とNPO法人「MP研究会」の事務局長の方が仰った。と、ジャーナリストの姫田小夏さんがプレジデントオンラインで書かれていた。

そのNPO法人については外国人労働者の支援をされているということしか知らないが、信頼できるかどうかと関係なく、「ダメな法改正なら絶対文句をいうであろう立場」の人が前進と評しているならおそらく専門家から見ても改善なのだろう。

それでも、この記事を書かれた姫田さんは言う、「このままでは外国人が日本を選ばなくなる」。それほど、日本の労働環境は劣悪なところが多いということ。(日本人にとっても言えることだけど)

本題と違うけど言っておくと、少なくとも私の周辺=北海道の農家では、あくまで外から見る限り、技能実習の外国人たちは大事にされている印象を受けている。私が東京で住んでいたボロアパートに比べたら随分小綺麗な真新しい宿舎があちこちの牧場の傍らに建っている。地元の集まりに来ているのを見ても楽しそうにしていた。

さて問題はだ。


日本人が外国人労働者の問題に対して抱いている感情的な印象が、賛否真っ二つなのはみんな知っている。そこだ一番の問題。なんで真っ二つなのか。答えは「外国人」を丸ごと一括りにしているからだ、否定派も支持派も。(現場で接している人の中には具体的に問題意識を持たれている方も多数おられるだろうけれども)

否定派が「丸ごと出てけ」というのは感情的には昔からあることで、間違っているが珍しくはない。もちろん擁護するつもりもないが、むしろそういう感情論を想定内として支援側は広報していく必要があり、そうでないと百数十年前に奴隷制も無くなっていなかった。

私も、最終的には、否定派の人たちにとってこそ、この問題の核心は重要な意味を持つと思っている。

一方、支援派が、否定派の感情論を無視して正義を振りかざしてもこの先何十年状況は変わらないどころか、悪化する一方だと思う。どっかの党が叩かれるはずだ。だからこの記事を書いた。

完全否定派の人が懸念するのは日本が外国人労働者で溢れて治安が悪くなること。

外国人になんの恨みもないが「移民はやっぱり最小限(かゼロ)がいい」と考えている人は、治安だけでなく日本人の雇用確保を案じているのかもしれない。

「人口比率の理想」はイギリスなど古い国ほど深刻に抱えている問題だし、人それぞれ国それぞれでとりあえずいい。多様性への理解は世界的に必要だとしても、一国を人種の坩堝にするのが一択理想だとは誰にも言えない。国のカラーがあるからこその多様性であるからだ。例えば多様性の国アメリカに住む中国人であっても、中国本土が白人だらけになって皆喜ぶだろうか。

この場合の問題は人口比率ではなく雇用の現状だ。そこを人種問題にすり替えてはいけない。

企業や事業者が「募集しても日本人は来てくれない」仕事を外国人に頼らなくはならない現状は、移民を減らしてもゼロにしても絶対に解決しない。「AIに仕事を取られる」とか騒ぐ前に、自分らが捨てた仕事を機械が拾うか外国人が拾うかという二択段階に来ていることをまず考える必要があるかもしれない。

脱線しないうちに結論を出してしまおう。

「日本の労働環境が悪くなって外国人が誰もきてくれなくなるなら、万々歳じゃないか」と思っている否定派にとってこそ実は一番、マズイ事態が進行している。

論理的にいきます。

日本にも情報強者と弱者がいる。仕事ができる日本人とまるで使えない日本人がいる。災害時に困っている人を最優先して自分が我慢できる日本人が大勢いる一方で火事場泥棒もいる。無人販売でちゃんとお金を入れる日本人もいればスーパーの透明ビニールやトイレットペーパーをごっそり持ち帰る日本人もいる。それは多かれ少なかれ外国人にも言える、というだけの前提。

というと、否定派や懸念派は特に、「いや、外国人はそういうのが多いんだよ」と言うかもしれない。そこよそこ。労働環境が悪くなると、あるいは悪いからこそ、「そういうの」がどんどん増えるという可能性を考えたことがあるだろうか。

賢い外国人や有能な外国人は、国を選べる。情報力もあるから、環境の悪い国にはこなくなる。誠実な外国人は周囲に親切な人が多いはずだから、やはり「あの国はやめときなさい」と誰かが必死に助言してくれる。

しかし、日本の産業は現在、日本人が誰もやりたがらない仕事がまだまだある。日本にパイプを持っている斡旋業者は、善良であれ悪徳であれ、とにかく一定の数の外国人を日本に連れてこなくてはならないし、日本の企業や事業者も外国人を求めて国にプッシュせざるを得ない。無理にでも、騙してでも外国人を呼び込まなくてはならないことを、都会の国粋主義者は知らなかったりする。

つまり、環境が劣悪であればあるほど、有能な外国人や誠実な外国人はどんどん日本を避けるようになり、「代わりに」情弱の外国人、働き先を選べるほど有能ではない外国人、貧困にあえぐ(生きるためなら何でもするしかない)外国人ばかりが日本に送り込まれてくることになる。しかも騙されて日本にきた場合、「裏切られた」と感じた人間はどういう行動に出るか、誰でも想像できると思う。

今までの(改正前の)法律だと外国人労働者の選択肢は「技能実習」しかなかったらしい。これは学生が学校を勝手に変われないように、「実習生」は仕事を変えられない。「やってられない」環境では潰れるか逃げ出すかしかなく、逃げ出すと不法になってしまって他のアルバイトすらできないので、日本で犯罪しながら生きるしかなくなる。「国に帰れ」と言われても、日本で働いて返す前提で借金をして来ている人も多いので帰れない。

「外国人に冷たくすれば来なくなって万々歳」というのが幻想だとわかるだろうか。そして、外国人を嫌いな人たちが一番嫌うタイプの外国人の比率が、外国人に冷たい国になればなるほどどんどん増えるというパラドクス、それが唯一の現実だったのだ。

「愛情深い人間(loving person)も(環境によって)冷酷になる」

『INSTINCT』というアメリカのドラマに繰り返し出てくるセリフだ。

逆も言えるのではないか、ということ。
ただ金になるだけの国だと、金だけが目当ての人が集まる。
知性や徳を感じさせないお人好しのもとには、利用したいだけの人が集まる。
誠実な人に居心地のいい国、有能な人が選ぶ国はどんな国か、愛情深い人間がその輪を広げるような国は?
その答えを考える時間のためには、いがみ合っている暇はない。

我々の幻想の中にある「犯罪が少ない日本人」がもし現実に一理あるとしたら、一定の豊かで平等な生活が保障されているからというのが1番の理由だろう。それは本当は世界中の誰にでも当てはまるはずだ。「普通にまじめにしていれば良い環境が保証される」のなら、わざわざそれを捨ててまで悪いことをする人はそんなに多くないのではないかと……果たしてそれも幻想なのだろうか。